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かつて母なる川に悲恋の南無網島があった ⑤~青湾・桜宮 [大阪市都島区]

銀橋のほど近くの公園内に 今回訪問してきた 都島の由来を表す碑があるんです。

都島由来記

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碑には「母なる川である淀川に生成した多数の島や川によって都島の大地は創建された。平安朝のころから武家や寺院なども見られたようであるが、都島の各地に集落が形成されるようになったのは、近世都島の京橋口から発する京街道が開発され、また淀川が京~大坂を結ぶ政治的、経済的大動脈になってからのことである。こうして近世を迎えて明治22年、大阪市制が敷かれ、幾多の変遷をへて昭和18年4月1日都島の誕生をみて現在に至っている」と書かれています。

都島の地名は 古代の大隅宮や難波宮に近く、都に向かう島から「都向島」から訛ったものとされます。

さらに公園内には こんな碑もありますね。

青湾

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かつて大川の桜宮堤防の下には、流れが渦巻いている小さな湾「青湾」がありました。そこの水はとても美味しく豊臣秀吉が好んで茶の湯に用いたといわれます。江戸時代には名だたる文化人達が賞賛し、煎茶を広めました。明治28年に桜ノ宮に上水道が出来るまで、水屋と呼ばれる業者が この地の水を汲んで市内に売りに歩いたそうです。

公園から都島区の町中に少し入ると りっぱな神社があります。

桜宮

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ご祭神は天照大神、八幡大神、仁徳天皇で境内にはご立派な桜の木が神木として祭られています。


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元は野田村(今の東野田町)にありましたが たびたびの水難に合い、宝暦6年(1756)に現在地に遷座されました。

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江戸時代から桜の名所として有名で シーズンとなれば多くの花見客で賑わっています。

ここ桜ノ宮公園も大阪有数の桜見物の場所で 造幣局の桜の通りぬけと 前後して 大阪庶民の目を楽しませてくれています。

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来年の春の桜シーズンにはもう一度、訪れてみたいですね。

さて、今回 都島の大川べりを歩いてみましたが、実はこの地が あの近松門左衛門の「心中天の網島」の舞台だったのです。


大長寺

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浄土宗の寺で、ご本尊は阿弥陀如来です。慶長10年(1605)開創で、山号は「川向山」といいます。明治になり大洪水による被害から 明治42年(1909)に藤田伝三郎により寺領を買い取られ、網島の地から現在地に移転しました。その後、戦争により伽藍も失い、都市化計画に境内の縮小も余儀なくされました。

心中天の網島は近松作品の中で世話物として大坂竹本座で上演され紙屋治兵衛と小春の大長寺での心中事件わ題材にリアルタイムで書き上げられたとされます。早籠にのって現場に行き、謡の本は近衛流。野郎帽子は若紫。悪所狂ひの身の果ては、かくなりゆくと定まりし・・・という有名な書き出しを思いついたそうです。2ヶ月後には上演されさすがは希代の早業師と評判を呼んだそうです。

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大川川べりにはこんな砂場の浜辺もあります。

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今は遠くに電車が通る何気ない風景です。

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川にたたずむ屋形船に風情が感じられますねぇ・・・

ここいらで 今回の大川ベリ 桜宮界隈、散策はひとまず 千秋楽に致します。

もうすぐ この辺も紅葉の見頃となり 沢山の方が訪れることでしょう。

少しでも かの 治兵衛と小春の道行のシーンが思い起こせたらいいですね。

これからも 大坂の川にまつわる 歴史を紐解いていきたいですね。。¥^^
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コメント 2

YUTAじい

こんにちは。
ご訪問、nice! ありがとうございます。
by YUTAじい (2011-11-22 09:01) 

こぐまね

YUTAじい さん>コメントありがとうございます
また訪問大歓迎です。。¥^^
by こぐまね (2011-11-22 23:10) 

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