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先賢景仰!時代の最先端駆け抜けたまち ①~江戸堀 [大阪市西区]

江戸時代、ここ江戸堀界隈は、当時の一流の知識人・学者が集まりました。幕末には『日本外史』の頼山陽が生まれ、蘭学者・中天游の私塾「思々斎塾」が開かれ、そこにはあの緒方洪庵も学びに訪れました。
のちに 緒方洪庵の弟子で近代日本陸軍の父・大村益次郎が寓居した場所や反骨のジャーナリスト・宮武外骨が「滑稽新聞」を発刊したのも、ここ江戸堀です。時代を駆け抜けた先賢者たちの足跡を訪ねながら 江戸堀界隈を歩いてみましょう。

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地下鉄四つ橋線の肥後橋駅に降り、西に向かうことにします。

まずすぐに 地元の商店街がありましたので訪ねてみますね。

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肥後橋商店街は「日本一」 短い商店街です。

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全長約79メートルしかなく、戦後は玉水商店街と呼ばれていましたが、昭和40年地下鉄に肥後橋駅ができて改名したそうです。

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商店の数は 少ないですが 実に活気ある商店街で お昼時には お弁当売りの声が響いてました。

ここから すぐのところに ある史跡

頼山陽生誕地

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頼山陽は江戸時代後期の歴史家・漢詩人で安永9年(1780)、現在の江戸堀で広島藩の儒学者の子として生を受けました。江戸遊学後、脱藩し失敗、自宅に幽閉の身となります。そこから源平・南北朝・徳川時代までの武士の栄枯盛衰を描いた歴史書『日本外史』の執筆を始めます。文政9年(1826)に完成したのち、時の老中、松平定信に献上されました。陽明学者として 大塩平八郎にも影響を与え、没後に出版された『日本外史』は幕末の大ベストセラーとなり、尊皇攘夷運動に大いに影響を与えたのです。

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お向かえにはこんな元気な 食べもん屋さんがありますよ。

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京町堀界隈をさらに西に行くと小学校が見えてきました。

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西船場小学校は昭和18年(1943)に東江小学校を改称したもので、旧名の東江とは東江戸堀の意味です。

先賢景仰碑
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この地には江戸時代から多くの先覚者・学者・文化人を輩出しており、昭和10年(1935)に東江小学校創設50周年を記念して建てられた顕彰碑です。非常に年代が経っておりそこに掲げられた先人たちの名前はなかなか素人では読み取れませんが、頼山陽や後藤松陰、篠崎三島・同小竹、並河寒泉らの名前が刻まれています。


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ガレージの名前もここらが京町橋があったことを示していますね。

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すこし西に歩いていくと 大きな駐車場の脇に 実に小さな史跡が有りました、

関西法律学校発祥の地

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関西法律学校は、明治19年(1886)に、当時の大阪控訴院長であった児島惟謙(のちの大審院院長)らの賛成を得て、ここにあった願宗寺境内に創立されました。当時は児島のほか、大阪始審裁判所長の大島貞敏、のちの大阪商工会議所会頭の土居通夫らが名誉校員でした。関西法律学校は 現在の 関西大学の前身でもあります。

さてここから 北の方角に 歩くことにして さらに 知られざる文人学者の足跡を訪ねることにします。

反骨のジャーナリストや かつて江戸堀にかかっていた橋の名残なども訪ねますよ。。¥^^
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コメント 2

rtfk

頼山陽は広島ではメジャーな歴史上の人物ですね^^)
by rtfk (2011-11-25 21:50) 

こぐまね

rtfk さん>コメントありがとうございます。
頼山陽のことはあまり知りませんでしたが広島で有名のこと
詳しく知っておきたいですね。。¥^^
by こぐまね (2011-11-26 23:27) 

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